【連載|対談】ezorockers HIRONOBU NISHIWAKI~自分が前に出ればいいだけじゃないことを大事にする
ezorockの『人』に着目したコラム第29回目は、東日本大震災をきっかけにふくしまキッズに関わり、今も子どもの自然体験活動を行うわっきーです。ezorock20年を振り返る特別企画の第七弾として、活動中のターニングポイントと自身の変化について聞きました。学生時代から一緒に活動し、わっきーの変化を感じてきたてつとの対談です。
PICK UP
✔ そろそろ何かやらなきゃヤバいってなってた
✔ 周りを気にしないで活動していた
✔ やたらめったら楽しければいいという訳ではない
✔ 毎回色んな視点で物事を見れた
✔ 濃密な時間の中で色んな感情が動いた
PROFILE
名前:西脇 宏伸(にしわきひろのぶ)
あだ名:わっきー
所属:NPO法人雨煙別学校
ezo所属:ふくしまキッズ
出身地:北海道札幌市
特徴:20年前は9歳。ドッジボールをやめて、サッカーを始めた頃
名前:崎川哲一(さきかわてついち)
あだ名:てつ
所属:ezorock・合同会社森のピタゴラス
出身地:石川県
特徴:20年前は10歳。サッカーを始めた。
そろそろ何かやらなきゃヤバいってなってた
て:わっきーが一番初めにezorockに来たのはいつ?
わ:2012年夏。ふくしまキッズ(以下、FK)*の活動に4日間くらい参加した。その年の秋に、夏の活動の振り返りでezorockの事務所に初めて行ったかな。
て:FKに参加したきっかけって何だったの?
わ:大学に入学した時が震災元年というか2011年で、何かやらなきゃなってざっくり思っていたけど、1年間くらいは何もできない自分がいた。2012年になってから「そろそろ何かやらなきゃヤバいな」ってなってた。少し情報にアンテナを張り始めた時、大学の掲示板に「ふくしまキッズボランティア募集中」のチラシがあって、子どもと教育ってキーワードは自分の中にずっと持っていたから「これだ!」ってなった。しかも福島県の子どもたちに対して少しでもお手伝いできるなら!って行ったのが一応表向きの動機。ぶっちゃけた話でいくと、大学4年生の大好きな先輩がいて。その人がどうやらふくしまキッズというボランティアに行っているらしいぞっていう噂を聞いて、それは行くしかねえ!って参加したのが2012年の夏。
て:そうだそうだ(笑)
わ:結局、先輩には活動中に一回も会えなかったんだけどね(笑)
て:そんなことあったわ。俺もezorockでの初めての活動が2012年春で、一緒に初めて活動したのはその年の冬だよね。
*ふくしまキッズ:福島第一原発の事故問題を受け、全国各地で展開された福島の子どもたちを受け入れるキャンプ。北海道は2011年~2015年まで実施され、ezorockでは北海道の事務局として道内各地へのボランティア派遣・コーディネートを担った。
周りを気にしないで活動していた
て:2012年の冬にはボランティアリーダーだったよね。それは何でだったの?
わ:活動はやっぱり楽しかった。子どもと活動するということが楽しかったし、自分も震災支援に少しは関われたっていう自分の中の達成感があったんだと思う。自己満足だけど。で、冬の活動も参加するっていう話を他のメンバーにしたら、気が付いたらボランティアリーダーになってたんだよね。やりたいって言ったわけではなくて。
て:気が付いたらリーダー?(笑)
わ:そう。札幌から大沼*に向かう車中で「わっきーボランティアリーダーね」みたいな。結構衝撃だったから。「えーーーっ?!俺でいいんですか?!」ってなったね。
て:当時は、わっきーは四六時中すごい楽しそうなイメージだった。
わ:多分あのあたりが一番輝いてたんじゃないかな(笑)
て:その時期で印象深かったことはある?
わ:その時は周りを気にしないで活動していた。だから輝いているように見えたんじゃないかな。自分が楽しければ皆も楽しいみたいなマインドだったから、純粋に「活動楽しい!いぇーい!」ってはっちゃけてた。そして、2012年冬に玉砕した(笑)
て:(笑)辛い記憶を聞いていってるね。
わ:でも、ターニングポイントはあるんだよね。
*大沼:七飯町大沼のこと。ふくしまキッズの活動は全道各地で行われており、同時期に複数のコースで活動していた。大沼は活動の起点になる重要な場所だった。
やたらめったら楽しければいいという訳ではない
て:ということは、わっきーのターニングポイントは、2012年の冬?
わ:まずは、2013年の1、2月。2012年冬の活動の振り返りの時がひとつかな。冬の活動で、お前は目立つことばかりして気持ちよくなっているって言われた。その周りで自分を支えるために時間を作ってくれているボランティアの人もいるし、その更に奥には色んな活動を手伝ってくれる大人の人がいる。もっともっと遠くには支援してくれる人もいるっていうことを、西脇は考えないで、ただ自分が楽しい、気持ちいいことをしているだけだとフィードバックされたわけですよ。
て:それはきっついな。
わ:めちゃくちゃ落ち込んだ。何で良いことやってるのに、こんなに怒られなきゃいけねえんだよって。しかも、他のメンバーがいる中でわっきーの行動に対して、みんなで振り返ろうっていう時間で「私は子どもと一緒に活動してました」とか「わっきーが抜けた穴をサポートしてました」とか色んな声が次々と来るわけですよ。
わ:多分、笑ってただろうけどね。心の中ではパリンパリンってガラスの心が砕け散る音がしたんじゃないかな。そこからすぐに変えていこうということにはならなくて。しばらくは嫌な記憶のままだった。今思い返せば、そこから少しずつやたらめったら楽しければいいという訳ではないということを学んだというか。まあ、TPOをわきまえた感じかな(笑)
て:じわじわと変わっていったという感じ?
わ:そうだね。周りの人というか、支援してくれる人のことも意識するようになったのはそこからかな。自分が前に出ればいいだけじゃないっていうのをめちゃくちゃ大事にするようになった。結果、丸くなっていった感じなのかな。
て:そうだね。1年くらい経った2014年くらいの活動で久しぶりに会ったら大人しくなってた(笑)
わ:そうだね(笑)あのままいってたらどうなってたんだろうなとは思う。人を傷つけてたかもしれないし、って考えていくとあの時に鼻をへし折ってもらって良かったかなと思う。
毎回色んな視点で物事を見れた
て:それ以外にも、わっきーの中でターニングポイントだったなというところはある?
わ:いつの活動とかではないけれど、僕らボランティアにチャレンジする場を用意してくれていたところ。それが、今の仕事にも繋がるし。2013年の春からキャンプディレクターという子どもたちの前で話す役割をやらせてもらっていたし。そういう環境が良かったかなって思う。
て:確かにFKは、いくつか役割の階層があって。わっきーはその階段を当時の仲間たちときちんと登っていったよね。
わ:そうだね。一つずつ階段を登っていった感じかな。
て:階段を上がっていく間に変わったことってあるの?
わ:やっぱり視点は色々変わるよね。例えば、子どもたちと一緒に過ごすカウンセラーは現場の全体や周りは見れないけど、子どもたちの生活をしっかりサポートするという役割。ボランティアリーダーになれば子どもじゃなくて、活動に一緒に参加しているボランティアたちのことを気にするようになった。進行役のディレクターをやった時は全体の進行が滞りなく進むようにって考えるし、事務局側とか遊軍ってなると本当に裏側に徹していかないといけなくなる。毎回色んな視点で物事を見れたというのは大きいかな。
て:俺はわっきーに会っていたのが飛び飛びだから、会う度にわっきーが変わっていってたな。
濃密な時間の中で色んな感情が動いた
て:改めて話聞いたら、わっきーが割とタイトな期間で変わっていったんだなということが新しい発見。学生時代に活動していたのは2年くらいでしょ?2012年から始めて、2014の夏には今の仕事に繋がっていくわけだし。
わ:そうだね。
て:早いな。当時のFKがそれほど濃密だったっていうのもあるよね
わ:めちゃくちゃいっぱいミーティングしていたしね。活動自体も1~2週間とかずーっと自分の家じゃないところで子どもたちや仲間たちと活動しないといけないという環境の中では、色んな感情が動いたんじゃない?やっぱり良かったよね。
わっきーは学生時代の活動がきっかけで、大学卒業後栗山町で自然体験活動に関わっています。栗山町へ行った経緯とその後の活動についてはこちらのコラムをご覧ください。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
今後も、ezorock20年を振り返る特別企画を続々連載していきます。
次回も楽しみにお待ち下さい。
そして、ぜひ活動にも参加してみて下さい!
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