【RSR特別企画】RSRオーガニックファームからのつぶやき vol.3
RISING SUN ROCK FESTIVAL(RSR)で、環境対策活動を展開するEarthCareの特別企画『オーガニックファームからのつぶやき』第三弾!EarthCareに関わる方々と主催者のウエス若林さんをお招きした対談の模様を、数回に分けてお届けしています。第三回目の今回は、RSR会場での環境対策活動の始まりや、生ごみのリサイクルからいもの無料配布を行うオーガニックファームの取り組みの裏側に迫ります。
前回の記事はこちらから
PROFILE
名前:若林良三(わかばやし りょうぞう)
所属:ウエス
名前:小林卓也(こばやし たくや)
所属:はるきちオーガニックファーム
名前:草野竹史(くさの たけし)
所属:NPO法人ezorock
整頓されていると汚いものには見えない
草野:フジロックでごみのナビゲートをしていたA SEED JAPAN(以下、A SEED)と出会った時、カルチャーショックを受けたエピソードをお聞きしてきましたが、実際どうだったんですか?
若林:コンサートやイベントって当然、飲食で出る汁物だとか、プラカップだったりとかがいっぱい出てくるので。ああいうのって面白くて、コンサート会場でも普通にばんばんって弁当殻が置いてあると、大きな山になるんだけど、ちゃんと誰かひとりが分けて重ねてたら、次の人も「そうしなきゃいけないんだ」ってなる。
草野:紙コップとかわりばしとか、結構そういう感じですよね。
若林:そう。分けておくと、きちんと整頓されていく。で、整頓されているとそれは汚いものには見えないんですよね。でも、全部混ざると本当に大変だし。そういう実感は元々あったね。
若林:A SEEDの羽仁カンタくんと出会って最初に、東京の事務所でこういうことやろうって話したときに「お前、やるんだったら本気だろうな」みたいなこと言われた(笑)
はるきち・草野:(笑)
草野:カンタは、いまだに「最初に若林さんと話したところから始まった」って言ってますね。
「ごみ拾いでお前の人生終わるのか」って怒られた
草野:僕は、2000年にRSRでA SEEDがボランティア募集してたのを、たまたまメールニュースで見て「こんなのありえない」って思った。こんな大きいフェスティバルで、ごみの活動するなんて信じられないと思って、どうやってやるのかを知りたくて参加したんですよね。ごみ拾う気満々だったので、会場でカンタの前でゴミ拾ってたら、怒られるってところからが始まりでした。「お前の人生ごみ拾いで終わるけど、それでいいのか」みたいなことをボランティアにがんがん怒ってて、「なんだこいつ」って思ったのが最初のイメージですね(笑)
若林・はるきち:(笑)
若林:すごいね、「ごみ拾いで、お前の人生終わるのか」って名言だね。
草野:そうなんですよ。「捨てる人の意識変えないで、お前がそこに落ちてるごみ拾ったって社会は何にも変わんないよ」みたいなことをばーって言われて。あと、この業界で飯食ってるって言われたのも衝撃的でしたね。当時は、NGOとかで働けるのかなって知りたかったんで。そしたら目の前に現れたのが、羽仁カンタだったっていう。今ではボランティアの人数、160人くらいですけど、当時は70人くらいで。A SEEDメンバーが東京から来て、ボランティア募集して、活動してた感じでした。とにかく衝撃的な活動でしたね。
▼RSRで初めてとなる環境対策活動の様子(2000年)
若林:毎年そういったボランティアをコーディネートするスタッフが東京から数名来てて、それも正直お金がかかってて。そのお金って、やっぱりお客さんのお金だから。羽仁くんと「最終的にはやっぱり、北海道の中の人たちが独立することだね」って話してた。実は僕、羽仁くんに向かって「俺の夢はお前が来なくなることだ」っていうことを言っちゃったことを覚えてるんだよね(笑)
草野:今だから、言える話かもしれないですけど、確か2005年のときかな。A SEEDが抜けて、ezorockだけで活動していくって決める時に、この活動を辞めるか、誰かが本気でやるか、どっちか選べみたいなこと言われて。なので、北海道の人だけで環境対策活動が出来るようになったのが5年目ですね。
2004年から13分別が始まった
草野:でもその前の2002年の時は、ごみ箱も崩壊しちゃってますね。いっぱいお客さん入って。
若林:2002年から一気に動員が増えて、ステージも一気に増えたんだよね。
草野:僕たちはいつも通りボランティア募集の準備とかしてるのに「アーティストの発表とかステージの発表がいつもと違うぞ、やばいんじゃないか」って感じで。結局当日、ごみ箱からごみ溢れまくっちゃって。それから体制整えて、ボランティアも増やして。13分別が始まったのは、2004年ですね。
▼13分別になったごみ箱の様子(2004)
草野:「お前たちそんなにごみのことやりたいんだったら、全部やったら何個か出せ」って言われて。で、「キャップでしょ・・。」とか数えていったら13になった。13分別始めた時のイメージは、お客さんが意外と協力的だったんですけど。ただ、最後の一斉に捨てに行く時に、ごみ箱が大変になった。「何でこんなに分けなきゃいけないんだ」みたいな感じになっちゃって。特にラストが大変でしたね。
若林:最後は、早く帰りたいって気持ちが先走っちゃうから、難しいんだよね。
何も言ってないのに、いもを分け始めた
草野:地元の協力もあって会場の生ごみもリサイクルできて、「せっかくだから、これで何かできないか」って言って始めたのがオーガニックファームの取り組み。いもがいいんじゃないかって話が出てきて。それで、石狩でオーガニックで、RSRに協力してくれそうな人は、僕は一軒しか知りませんって感じで(笑)はるきちさんに相談に行ったのは、2007年のRSRの前かな。
はるきち:その時のことは、覚えてる。取り組み自体は知ってたんで。この話がうちに来ればいいのになって僕は思ってて。
若林:そうなんだ!
はるきち:うちだったら、たい肥使って野菜を作って、RSRに持っていくところまで出来るのになと思って。当時はまだたい肥にするまでの取り組みで、そのたい肥で何を作るかみたいなところまでは出来てなかったから、すごい取り組みなのにもったいなって思ってて。だから、こんなに会場の近くで農業やってて、うちしかないだろうなって思ったら、案の定、タケシからその話いただいたから「やりましょう」って。
草野:一番最初の時から、いもを育ててるのはこの場所ですよね。もっと面積小さかったですけど。面白かったのが、それまでRSRのごみのことしかやってなかったのが、生ごみ扱い始めたら、ちょっと自分たちも地に足ついた感じがして。それで、当時のezorockメンバーもどんどんはまっていった。その時、ブログ書いたんですよね。そしたら、そのブログを色んな方が見てくださっていて。2008年のRSRで、初めていものお披露目をしたんですけど。入場ゲート入ってきたところで、いも見せるように山作ってたら、来場者の方が結構「ブログ読んでましたよ!」って言ってくれて。環境の切り口からこんなに共感呼べることあるんだなって思いましたね。ごみ分けてくださいって、正直嫌なことじゃないですか。めんどくさいし。でも、色々な方から「あの取り組み、北海道らしくて良いですね」って言ってもらいましたね。最初に配った時は、確か、いもを30個くらいしか準備してなかったんですよね。
若林・はるきち:暴動起きるね(笑)
草野:案の定、50人以上来ちゃって(笑)あぁもうやばいって思ったら、何も言ってないのに、勝手にみんながいもを分け始めて。「うわ、RSRすげー」ってなった。それで、いい雰囲気で終わってから、作って配って、作って配って。気が付けば12年。
若林:僕も最初の無料配布のとき、食べたね。お祭りとかフェスって、そこに行くためにみんなの気持ちが全部集まっていくじゃない。お客さんもそうだし、準備する人たちもそうだし。だから、作っている人は「おいしかった」って言ってほしいし、ステージに立つ人は「かっこよかった」って言ってほしい。あとは、もちろん「楽しかったよ 」って言ってほしいよね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
第四回目は、今では人気企画になっている「薪割り体験」の始まり。そして、2015年に東京スカパラダイスオーケストラと共演した石狩市立花川南中学校吹奏楽部出身メンバーが登場します。
次回もぜひお楽しみに!